ぼああ


「ぶっさいくな顔してんな」

 元々整っているわけでもない顔が涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっていた。素直に声をあげて泣けばいいのに、なんて思ってしまうのは目の前の人物が幼く見えるからだろうか。

「ほっといて、くだ、さいよ」

 震えないように強張らせた声は虚勢に満ちていて、まるで本心とは思えなかった。放っておいてもいいのになんだかそんな気になれず、膝を抱えて路地裏で一人涙する少年に声をかけた。

「本気で放っておいて欲しいなら、さっさと家に帰って一人で泣け」

 こんな路地裏で一人でいたらロクでもない連中に絡まれて良くて身ぐるみ剥がされるか最悪殺されるぞ。善意から忠告をしてやったらぷいと顔を逸らされた。
 流石にムッとして膝を抱える少年と視線を合わせるためダニエルもその場にしゃがむと少年の輪郭を掴みこちらを向かせる。近くなった顔をよく見ると涙のせいばかりではなくボロボロになっているのが目に留まる。中でも嗚咽を殺すためだろう、噛み締められた唇からは紅く血が滲んでいた。

「血が出てんじゃねーか」

 傷に触れようと頬から手を離し指先を伸ばすと顔を下げて避けられてしまった。当人が望んでいないならこれ以上は押し付けがましいのではないか。どうしたもんかと行き場を失った手をさ迷わせる。しかし表情が見えなくとも嗚咽を無理に飲み込もうとする音は隠しきれていなかった。

「…ったく」

 全ての負を自分で飲み込み他人を立ち入らせないよう虚勢をはる少年を見ていると、なんだか堪らなく放っておけない気持ちになってくる。こんなの柄でもない。
 ダニエルは一度立ち上がり、今度はレオナルドの隣に乱暴に腰をおろすとタバコに火をつけた。ぷかり。煙を燻らせていると隣で沈められていた顔がチラリとこちらを覗き込んでいた。

「んだよ」

 見られているとなんだか落ち着かなくて声をかけるとまた抱えた膝の中に顔を隠してしまう。
 時折こちらを窺っていたようだが、しばらくすると特に気にすることもないと思ったのか少年はまたグズグズと嗚咽を漏らしはじめる。小さく縮こまって己の殻に閉じこもろうとする少年があまりにも苦しそうに泣くものだから、ダニエルはつい押し付けだろうが面倒をみてやるかと腹をくくった。
 ぐいと肩を引き寄せてやると固く縮こまっていた身体は突然のことにバランスを崩して解かれていく。すかさず上げられた頭に手を添えるとそのまま自分の首元に持ってきてやる。
 いきなりのことで驚いたのか嗚咽は止まっていたが、添えた手でくしゃりと頭をなでてやると堪えていたものが決壊したようで、声をあげて泣き出した。
 他人が泣いてるところなんて真っ平ごめんだと思っていたが、縋るようにコートを掴む手も、肩口を濡らす涙も悪くないと思える自分がいた。

 どれほど経ったのだろうか。ようやく落ち着いた少年は、目と鼻を真っ赤にしてダニエルに向き合った。

「おみぐるしいところを見せちゃってすみません」

 すん、と鼻を鳴らしながらもへらりと笑って見せる少年は涙の跡さえなければきっといつも通りに笑っているのだろう。

「コートも汚しちゃって本当申し訳ないです。クリーニング代はお支払いします」

 えっとこういうときはどうすればいいんだろう、連絡先かな、あっでも書くものもってないと荷物を漁りながらわたわたし始める落ち着きのない少年に断りをいれると、そんなわけにはいかないと引き下がられた。

「あっ、気がつかなくてすみません。こんな見ず知らずの男が汚したコートなんてクリーニングしても嫌ですよね。新しいコートでもお支払いしますんで言ってください」
「いやそれもいらねーよ」

 じゃあ、尚も食い下がる少年に俺が勝手にやったことなんだから気にすんなとまたぐしゃりと髪を掻き交ぜる。それでも気が済まないようで、でも、それじゃあ、と言葉を紡ぐ少年の額を指で弾いてやる。

「俺がいいっつってんだからいいんだよ」

 そもそも善意ばかりでこんなことをしてやるような善人でもないのだ。綺麗にお礼を返されるのもくすぐったくてしかたがない。

「それでも俺の気が済みません」

 頑なに譲ろうとしない少年にこのままではラチがあかないと悟ると、それならばとダニエルも趣向を変えることにした。

「お前、名前は?」
「えっ、は?えぇと、レオナルド・ウォッチです、けど」
「そんな簡単に名乗っていいのかよ」
「隠すほどのもんじゃないですし」
「俺が術士で、名前を使って呪いを掛けようとしてたらどうすんだよ」

 とんだまぬけだと呆れてしまう。この超常都市において、自分の身を守ってくれるのは自分でしかないのだ。正義のヒーローもスーパーマンだって現れない。今生きていても一秒先に死ぬかもしない、そんなことはこの街に住む誰もが知っていることだった。

「はあ、まあ、その時はその時かなって」

 でも貴方はそんなことしないでしょう?疑うことも知らないような無垢さをもって返されてしまうと毒気も抜けるというものだ。しかしこんな真っ直ぐなやつがよくこのHLで生き残ってこれたなと思う。

「もうちょっと警戒心をもて。そんなんじゃこの街でやっていけねーぞ」

 お節介ついでに小言をくれてやると気のない笑みで返された。

「まあいい、レオナルド」

 これ以上言っても仕方がなさそうだ。名前を呼んで改めて向き合うと、真面目な空気を汲み取ったのか少年――レオナルドは返事を返し背筋をしゃんと伸ばした。

「そんなにいうならこれが礼ってことでもらっといてやるよ」

 言うが早いかダニエルの顔が近づきレオナルドは思わずぎゅっと目をつぶる。
 瞼に柔らかな感触がしたかと思うと小さくリップ音がした。

「へ、」

 恐る恐る瞼を持ち上げると悪戯に成功したようににんまりと笑みを浮かべる男の姿が目に入る。

「じゃあな、気をつけて帰れよ」

 ひらりと手を振り呆気なく立ち去っていくものだから、レオナルドはお礼を言うことしかできなかった。
 


 男の姿が見えなくなるとさっきまでの出来事は夢だったのではないかと思えて来るが、瞼には腫れぼったさも、先ほどの感触も残っている。男に触れられた瞼を指先でなぞるとそこからじわりじわりと熱が広がる。
 これがお礼とは一体どういうことなのか。レオナルドは男の真意が読めずに顔をあかくするばかりだ。一体どういうことだ。

「あっ」

 しかしそれ以上にうっかりしていたことがひとつ。

「あの人の名前、聞いてない」

 レオナルドはさらに頭を抱えることになった。

ダニレオ模索。
2015/09/15