小さい頃は王子様に憧れもしたけれど、現実では王子様が迎えに来るのは強くて優しい女の子だけだと知ってしまった。物語のお姫様は総じて美人で、それぞれが特別なものを持っている。すれ違う人が振り返るような美人でもなければ、特別なものを持っていない自分には王子様なんて来ないし、物語のような大恋愛も訪れないだろう。諦めとか悲観なんかじゃなく、これが現実。それだけのことだ。それでも、自分だって人並みに恋をして、まだ見ぬ誰かと時には喧嘩もしながらお互いを理解しあって、生涯を共にするのだと、そう思っていた。
***
「っっあ〜〜、疲れた!」
勢いよく飛び込むと、ちゃちなパイプベッドは悲鳴を上げながらも疲れきった身体を受け止めてくれる。一日を終えて部屋にたどり着いた安心感からか、どっと疲れが押し寄せてきて着替えることも億劫になってしまって、ベッドから起き上がれそうもない。シャワーは明日の自分にお願いすることにして、もう寝てしまおうかとうつらうつらしたところでノックの音が聞こえてくる。
この部屋を訪れるのなんてザップか大家くらいのものだが、家賃を滞納しているわけでもないし、大家がこんな夜更けに来ることはないだろう。そこまで考えるとザップさんならまあいいか。もう動けそうにないんです、すみません。暫くすれば諦めるだろうと心の中だけで謝って意識を手放そうとするが、鳴り止まないノックの音が邪魔をする。
静かに寝かせてくれない扉の前の誰かさんに不愉快な気持ちが湧き上がってきたところで、ノックの合間に小さいながらも声が聞こえてくることに気がついた。
「ウォッチさーん?」
その声は聞きなれたザップのものではなく、おそらく大家のものだろう。家賃は滞納してないはずだし、近隣から苦情がいくような生活もしてないはずだ。だとしたら、もしかしてまた急に出ていけ言われるのでは。そこまで考えたところでサアッと血の気が引いて、へばりついていた眠気も何処かへいってしまった。
いつの間にか止んでいたノックの音がより一層の不安を掻き立てる。転がるように起きて扉を開くと、なんだ、いたんじゃないと呆れる大家と目が合う。
「えっと......、何かご用で?」
思っていたような剣幕さのない異界人の大家に毒気をぬかれて、へらりと笑ってみせる。
「ウォッチさんにお荷物よ」
「荷物、ですか」
「それ渡しに来ただけだから。おやすみなさい」
「あ、ありがとうございます!」
押し付けるように大きくもない段ボールを手渡すとお礼を言う間もくれずに、さっさと立ち去ってしまった。
部屋に戻り改めて箱を眺めるが、おかしなところは見当たらなかった。このHLに来てから贈り物なんて初めて受け取ったかもしれない。何が起こるか分からないこの街で、荷が届いただけでも奇跡のような出来事だ。外からの荷の検閲を通すだけでも面倒で、家族でもよっぽどのことがなければ荷等送ってこないのだ。差出人を見ると、そう交流もない叔母の名前が記されており、余計に訳が分からなかった。訝しんでみたはいいものの、開ければ分かることかと思い直して封を切った。
***
数日後、レオナルデはこれまでの人生で入ったこともないようなハイグレードのホテルにやってきていた。
「本当にこんなとこ入っていいのか」
豪奢な建物の前に立ちすくむレオナルデの出で立ちはいつものダボついたトレーナーとズボンにスニーカーで、あまりにも場違いすぎる。用事はあるのだが、入ったところで警備員につまみ出されるのがオチではないかと内心不安でいっぱいだった。何度も手元の案内状とホテルの名前を見比べて確認したが、それでもなかなか踏み出せない。しかし時間は刻一刻と過ぎ去っており、このままホテルの前で時間をめいっぱい使ってしまう方がまずい。大きく息を吸い込んで心を落ち着かせるとレオナルデは恐る恐るエントランスへ足を踏み出した。
そもそもレオナルデがこんなところにいるのは、数日前に届いた荷が発端であった。離れたところに暮らしていて、そう交流もなかった叔母から突然送られてきたのは、ドレスとそれに合わせる小物一式と、少しばかりの食料と手紙だった。そう華美ではないとはいえ、普通にパーティーで使えそうなそれなりのドレスを突然送ってくるなど家族でもありえないため驚いたが、それより何より、手紙の内容に度肝を抜かれた。
便箋が1枚だけの薄っぺらい手紙には触り程度の挨拶が記されていたが、ほとんどがレオナルデの行く末を案じるものだった。HLが危ない都市だというのは外界でも知られているため分かるが、そこで守ってくれる相手はいるのかとか、たまに会う親に聞いても交際相手のことさえ話題に上がらないのが心配だとか。正直余計なお世話だと、読んでいる途中にも関わらず便箋を破きそうになった。
ともかく叔母はレオナルデの生涯の相手がいないことが不安だったらしく、そんな折に旧知の友が同じく甥の行く末を案じていたため、会わせてみてはどうかという話になったらしい。するとどうだ、二人は歳こそ離れているものの二人ともHLに居を構えていることが分かったのだという。そうなると今度は二人を会わせることは実現可能なのではと話が盛り上がり、そのまま実行に移してしまえと計画を立てたという報告が綴られていた。
親戚に薦められた相手とそう上手くウマがあうとも思えないが、そこはそれ、とりあえず会ってみろということらしい。可愛いレオナルデ、そう締め括られた手紙には強引ながらも自分を心配する心もあって無下にはできなかった。
本音をいえば、相手の情報も分からないというのにノコノコお見合いにやってきたのは単に会場となるレストランにつられてのことだった。
ホテルの中にある、見合いの会場ともなるレストランはモルツォグァッツァほどではないにしても外界にも名の知れた店であり、その味に比例するように価格もそれなりにするのである。こんな自分と縁遠いレストランで他人の支払いのもと食事ができる機会はもう二度とないかもしれないのだ。そう思うと来ないという選択肢はレオナルデの中から消え去った。決して自分が意地汚いのではなく、折角の機会を無駄にするのが勿体ないというのが近いのかもしれない。
更にいうなれば高級レストランにつきものであるドレスコードも叔母が事前にホテルの着付け室を押さえてくれているらしく、手紙とともに送られてきた衣装を持ち込めば身支度を整えてくれるという奮発ぶりであった。そこまでして相手がいないことを心配されているのかと思うと少しばかり申し訳ない気持ちも覚えるが、こればっかりは御縁の問題だから仕方がない。
自分は時間を空けさえすれば美味しい料理にありつけるのだから、少しの面倒は我慢だと言い聞かせて、ここに来ることを決めたのだ。それに相手がこの話を間に受けて会場にくるかも定かではない。もしかしたら相手が訪れないまま食事にありつける可能性も存在している。レオナルデはそこに一縷の望みをかけてこの日を迎えたのであった。
そうして朝からホテルを訪れて頭から爪先まで装飾されたレオナルデはいつもとは異なるきらびやかな空間に落ち着かないでいた。たとえ着飾っていようと田舎者のオーラが滲み出ているんじゃないかと気が気ではない。HLにきてからは体型を隠してしまうような大きめの男物の服しか着ていないため、久しぶりのスカートも違和感しかない。
この姿に馴染むまでもう少しばかり時間が欲しかったが、それも難しそうだ。余裕をもってホテルへ訪れたはずなのに、ヘアセットや化粧まで施されているうちに待ち合わせの時間が近づいていた。遅れるわけにはいかないと足早にレストランに向かうがヒールのパンプスもスニーカーとは勝手が違うために歩行速度は自然とゆっくりになってしまう。
結局レストランに辿りついたのは約束の時間の10分前だった。相応の格好はしているとはいえ、門構えからして豪華な店の雰囲気にのまれて入口でたたらを踏んでいると、中から出てきた店員に声をかけられる。予約しているものだと名を告げると、にこやかに対応してくれて、少しは肩の力が抜けるが堅苦しさはぬぐいきれず、結社のリーダーに仕える老紳士の暖かな微笑みが恋しかった。
「お待ちしておりました。お連れ様は既にお席でお待ちになっております」
席へ案内するために歩き出した店員は親切心から連れの存在を伝えてくれるが、その情報はいらなかった。そうですかと乾いた笑いしか返せない。相手が来ていなければよかったのにと思うが、来ているものは仕方がない。ここまで来て引き返すわけにも行かず覚悟を決める。
「失礼いたします。お連れ様がいらっしゃいました」
店の手前にあったダイニングルームを素通りすると少し奥まった扉の前で立ち止まった。どうやら個室での予約だったらしい。
どうぞ。
返ってきた返事は落ち着き払っていて、大人とも子どもとも分からない自分とはずいぶん年が離れているのだろうと思わせる。そんな相手とどう話せばいいんだろうかと余計に緊張してきた。でもきっと相手もこんな縁談に乗り気じゃないだろうから、さっさと断ってしまえばいいんだ。ええいままよ!レオナルデはやけっぱちになりながら部屋に踏み込んだ。
***
結論から言うと、この見合い自体は悪くはなかった。ダニエルを結婚相手として見れるかと聞かれれば首を傾げるが、美味しい食事に気楽な話し相手となれば目的は違っていても満足のいく時間を過ごせるものだ。
初めこそギクシャクしてしまったが、話してみるとダニエルは案外気さくで、近所のお兄ちゃんのような親しみやすさがあった。まあ近所にお兄ちゃんみたいな人はいなかったから想像だけれど。
年が離れているから共通の話題もなさそうなものだが、お互い超常都市に住んでいるだけあって話のネタは尽きなかった。ダニエルはHLで起きる事件に詳しいようで、話しているうちにこれもすごかった、あの時はやばかったと次から次へと話が広がっていくのだから感心するばかりだ。記者をしていたこともありHLのニュースにはなるべく気を配っているつもりだったが、HLでは観光誌に短い記事を載せている程度の自分が知っていることなどホンの一握りなのだと思い知らされる。住んでいる時間の長さもあるのだろうが、一般人ではそうそう出くわさない事件の数々にこうも詳しいのは、きっとそういった事件にかかわる仕事をしているのだろう。
「っと、もうこんな時間か」
「早いですね」
時計をのぞき込むと、もうティータイムに差し掛かるような時間になっていた。そんなに長く話していた気はしないが、この場に着いたのがまだ正午を迎えていない頃だったことを考えると、どれだけあっという間に時間が過ぎ去ったのかは言うまでもない。さすがにこれ以上居座るのも、ということで今日はもうお開きにしようと話はまとまる。
楽しい時間がこれきりで終わってしまうのは少し物悲しかった。途切れないくらいに話は盛り上がったとはいえ、結婚もしない見合い相手とはもう会うこともないだろう。せっかく出会えたのに、と思う気持ちは小さくない。
けれど楽しかったのは自分だけで向こうは二度と会うのはごめんだと思っている可能性もある。それなら無理に引っ張るのも悪いしこれでこの縁だな、なんて思っていたのだが、案外そうでもないらしい。
「何かあったら連絡してこい」
懐から手帳を取り出し何かを書きこむと1枚を破りとってレオナルデに差し出してくる。二つ折りにされた紙を開くとそこにはダニエルの連絡先が描かれていた。思ってもみなかったそれに、少しは彼もこの時を悪くないと思ってくれたのかと胸が騒ぐ。
けれども、連絡をするほどの何か、というのがどの程度のものなのか分からないし、実際何かが起こったとしてわざわざ連絡をとって迷惑をかけるわけにもいかない。この人はきっと助けを求めたら答えてくれる人だ。短い時間ながらそれを理解してしまったために、軽々しく連絡を取るわけにはいかなくなった。
使うことはないと分かっているのにHLに来てからこんな風に気にかけてくれる人はそう多くなくて、なんだかむず痒かった。
「今日は本当にありがとうございました」
「こっちこそ。それより本当に送っていかなくていいのか」
「はい。お待たせするわけにはいきませんし」
席を立ってレストランを出ると二人は朝にレオナルデが利用した着付け室へ訪れていた。入口で別れを告げようとするレオナルデを見るダニエルの顔は晴れない。送っていく、という申し出を断ったことをまだ納得していないらしい。席で散々応酬をして、ダニエルに仕事の連絡が入ったのをこれ幸いとばかりに理由付けたことでひとまず決着がついたにも関わらず、念押しのように確認してくる姿に心配性だなあと思わず笑みがこぼれる。
まだ日も高いうちは女性の一人歩きも多いのだから、生存率さえ気にしておけば一人で帰るのなんて問題は無い。ましてやこの辺はこんな高級ホテルが建つくらいなのだから、ある程度治安は保証されているようなものだ。普段からごった返した様な地区を一人で出歩いているのに、ここからわざわざ送ってもらうだなんてのもおかしな話だ。そう思って断ったのだが、向こうはそれでは納得できないらしい。それでもこの格好のまま街へ出るわけにもいかないし、着替えるとなると少なからず時間はかかるのだから待ってもらうのも気が引ける。
「何かあったらすぐ連絡しますから。ほら、お仕事あるんでしょう?」
「〜〜っ! 俺は先に出るが、気をつけろよ!」
「はい。ダニエルさんもお気をつけて」
最後まで渋々といった様子のダニエルを見送り、預けていた荷物を引き取ると帰り支度に取り掛かる。飾り立てられた髪を、服を、ひとつひとつ剥がしながら、夢のような時間に別れを告げる。準備にはあんなにも時間のかかった身支度も元に戻すのはあっという間で、十分もしないうちにいつもの自分が現れる。ダボついたトレーナーにズボン、顔と髪には余韻が残っていたが鏡に映る自分の姿は先ほどまでの煌びやかさとは程遠く、まるで魔法の解けた灰かぶりのようだと思った。
感傷的になる思考を振り払って荷物を整理していると、手鞄の中に入れていた小物のすきまからひらりと紙片が舞い落ちる。彼の連絡先の記されたそれを手に取ると、一瞬考え込んで、リュックから普段使いのポーチを取り出してその中にしまい込む。再び広げられた衣類に向き合うと、しばらくはもう取り出すこともないであろう服や小物を丁寧に鞄に収めて、口を閉じた。
荷物の整理が終わると忘れ物の確認をして、レオナルデもホテルを後にする。きらびやかで優雅な雰囲気を包んだ建物から一歩外へと踏み出せば相変わらず街はごちゃごちゃで、騒がしくて。日常に帰ってきたんだと、改めて思う。
チンピラには絡まれ事件には巻き込まれ、お金もなければ傷も絶えないそんなロクでもない毎日を過ごしているが、今日の日のような素晴らしい出会いもある。だからレオナルデはこのクソったれな街を嫌いになれないのだ。
***
「ちょっと助けてくんね〜?」
俺ら金なくて困っててさ〜、君が助けてくれないと俺借金かえせねーのよ!バッカお前こいつがそんな金もってるように見えんのかよ!それもそうか!
ゲラゲラと下品な笑い声をあげるのは徒党を組んだ異界人。ぐるりとレオナルデを囲む彼らは知り合いでもなんでもなく、1人で通りを歩いているところを脇道には引きずられたのだった。見てくれからしてお金を持ってないと分かるのなら自分をターゲットにしなきゃいいのにとは思うが、選ばれた理由はそこではないのだろう。
レオナルデはこの状況から抜け出すために思考を巡らせる。チンピラたちは財布を出したところで素直に解放してくれるとも思えない。ていうか返す気もないのに貸してくれってなんだよ。
素直に渡すわけにもいかないため、とりあえずやんわりお断りしてみたら一発殴られて、勢いで地面に倒れ込む。こんな地味なやつが従わなかったのが気に触ったらしく、追い討ちのように蹴られるもんだから身体を丸めて落ち着くのを待った。痣残んなきゃいいけど。容赦のない暴力から意識を逸らしてやりすごしているが、なかなか終わりそうにもない。そんなときだった。
「おい、テメエら何してる!」
凛とした声が狭い路地に響くと、その場にいた者全てがそちらに意識を向ける。レオナルデは顔を上げることもままならいため視線だけをやると、少し草臥れた革靴とトレンチコートが目に入る。
「はあ?なんだよオッサン。正義の味方にでもなろうってんのかよ」
顔は見れなかったがどうやら男はそう若くないらしい。出張ってきた男を揶揄した言葉に下品な笑いが広がるが、男は気にもとめない様子で近づいてくる。
「オッサンにもなって正義の味方になろうとは思わねえよ。ただ面倒なことにこれも仕事なんでな」
「げっ、警察かよ!」
「逃げろ!」
バタバタと忙しない足音が遠ざかっていく。何が起きているのか分からないが、どうやら助けてくれた男は警官だったようだ。ひとまずチンピラたちが立ち去ったことに安堵する。
「あの、ありがとうござ...」
「気にすん.....」
身体を起こすと目に入ったのは見知った顔で。相手も自分のことに気が付いたようだった。
「ダニエルさん、警官だったんですね」
「あ?言ってなかったか。というか、今言うべきはそこじゃねーだろ」
「いや、なんか色々驚きすぎて言葉が出てこないといいますか」
その言葉に嘘はない。もう出会うこともないと思っていた相手に助けられたこととか、ちょっと柄の悪そうな見た目をしているのに街を守るお巡りさんなのかとか、堅苦しいスーツだって着こなしてみせるのにやけに草臥れた服装をしているなとか、なんかもう色々と衝撃的すぎて何から言葉にすればいいのか分からなかった。
「俺もお前に聞きたいことはあるが、とりあえずは手当だな」
立てるか?と手を差し伸べられるが、あちこちが痛くて身体を起こすだけで精一杯で手を取ることができそうにない。本当なら身体を起こすのくらい手伝ってもらえばいいのだろうが、動けないと知れたら断っても動けるようになるまで面倒をみてくれるに違いない。自分は急ぎの用もないから時間はあるが、向こうは今も勤務中だろうし身動きのとれない自分の面倒を見てもらうのも申し訳ない。
「大丈夫なんで、お気になさらず仕事に戻ってください」
まあ今は無理そうだけれど少し休めば自力で帰れるくらいには回復するはずだ。思ったより身体はダメージをうけていて、上半身を起こしたままでいるのもそろそろ限界が近いため早く立ち去ってくれた方がありがたい。
ジクジクと存在を主張する痛みから逃れたくて、まだかまだかとダニエルを見つめるが手を下げる様子はない。痛みのせいで浮かべた笑みが引き攣りはじめる。
大きくため息をつかれたかと思うと、急に視界が回って身体が宙に浮いた。不安定さに思わず近くに縋りついたのだが、目の前に広がるベージュに戸惑い顔を離すと、どうやらそれはダニエルのコートのようだった。思わず顔を上げるとすぐそこに彼の顔があって、今の自分の体勢を理解したレオナルデはカアと顔が赤くなるのを感じた。
「えっ、あの、えっ?!」
「動けねーんだろ、大人しくしとけ」
「いや、でも、これはちょっと…!自分でなんとかしますんで」
「なんとかならなさそうだから手貸してんだろ」
「重いでしょうし…!」
「は?むしろ軽すぎだろ。ちゃんと食べてんのか、もっと肉付けろ」
「恥ずかしいので勘弁してください…!」
何を言っても下ろしてもらえないのが恥ずかしくなって顔を見ることもできず、肩口に額を押し付け絞り出すように叫ぶ。ドッドッと速度を上げて脈打つ心臓から送られる血液で耳まで火照っているのが分かる。それもこれも、この状況のせいだ。この体勢はいわゆるお姫様抱っこと呼ばれるものではないか。俵担ぎにされることはあっても、こうして抱き上げられたことはなくてどうしたらいいのか分からない。身じろぎをするたびにふわりと鼻をくすぐるタバコの香りの中に彼の香りが混ざっているのに密着度をより感じてしまってどんどん動くこともできなくなっていく。それに自分のことを知らない相手だとしてもこんな姿を見られるのは恥ずかしくて耐えられない。
「人通りの少ないところを通るから安心しろ。それでも気になるってんなら顔隠しとけ、そうすりゃ顔は見られないだろ」
だからそういうことじゃないんですってば。言いたい気持ちはあるが、言葉の途中で歩き始められてしまっては落とされないように縋りつくことしかできない。不安と羞恥がこんがらがってどうしようもなくなったレオナルデは、声にならない呻きを噛み殺しながら赤く染まった顔を隠して、ただ少しでも早くこの状況から抜け出せるよう願った。
恋愛結婚よりお見合い結婚の方が長く続く説を使った熟年夫婦を目指したかった話。このまま進むとこいつら恋愛結婚するなって思いました。
15/09/25
15/12/09加筆修正