ぼああ


作中の愛については京.騒.戯.画より

「俺には愛が分からないんだ」
自嘲するように顔を歪めるスティーブンは嘘を言っているようではなかった。いつもの優しげな面持ちは姿を隠し、目の前にいるのは、ただの弱り切った男でしかない。
「愛ってなんだ?愛だの恋だの、そんなもの、口では何とでも言えるじゃないか。俺はそんなもの、信じられない」
俯きがちに力なく頭を振る男はまるで子どもの様にも見える。親とはぐれて頼りにすべき人を失ったような、迷子の子ども。いつだって迷いのない大人でいるように見えるが、今にも泣きだしそうに顔を歪めたこの人は、何度も嘘で塗り固められた愛を告げられ、自らも口にするうちに心が凍り付いてしまったのだろう。
「だからレオ、君の言葉も――」
けれどそれ以上言わせるわけにはいかなかった。その先が分かっているからこそ、たとえ本当だとしても音に乗せさせるわけにはいかなかった。
「すみません、スティーブンさん!」
レオナルドはネクタイの結び目をつかむと、頭を振りかぶる。突然のことで油断したスティーブンは前のめりに体制を崩す。ぐっと歯を食いしばったレオナルドは、振りかぶった頭をスティーブンのそれに勢いよく振り下ろした。
「っっっっっっっっ!!!!!」
ゴッと鈍い音がして襲いかかる言葉にならない痛みにスティーブンの目に涙が滲む。すでにネクタイを掴んだ手は離れていたが、さすが戦いの前線に出ているだけあって、よろめき、たたらを踏むだけで踏みとどまった。しかし何が起こったのか分からなかったようで片手で額を覆って幹部を確かめている。指の隙間から睨めつけるようなスティーブンの目が覗く。
レオナルド、なにを
「愛してるって言ってくれましたよね」
スティーブンの言葉を遮りレオナルドは言葉を吐く。スニーカーのゴムが床と擦れてレオナルドが男に近づくのを知らせる。口ばかりの自分を責められているようで堪らなくなって、スティーブンはくしゃりと前髪をつかんで顔を隠した。
「一緒にご飯食べましたよね」
「……」
「そういうのが愛なんです」
ぴくりと肩を揺らしただけで、俯いたままの男はどんな顔をしているのかは分からない。レオナルドとスティーブンの距離は少しずつ近づいていく。
「つまんないことで喧嘩したり、くだらないことで笑ったり、いつもより五分早く帰ってきたりする」
徐々に早口になるレオナルドの言葉は力を増す。荒々しく手首を掴んで表情を隠していた手を引き剥がすと、自然と男の顔は上を向いた。
「笑ったり、泣いたり怒ったり喜んだり。いつも傍にいてくれましたよね」
弱りきった情けない顔を見せる男をギッと睨み付けると、視線を下げられる。この期に及んでレオナルドの想いを受け取ろうとしないスティーブンに分からせるように、レオナルドは言い放った。
「そういうのが、愛なんです!」
スティーブンは何か言おうと口を開くが、ぐっと唇をかみしめて再び俯く。
きっとレオナルドの言葉を信じられないのだろう。しかしレオナルドだって、そんなにすぐに信じてもらえるとは思っていない。
けれども、思っているだけでは駄目だと知った。言葉で信じてもらえないとなるとレオナルドは思いを伝える術は持ち合わせていない。だから信じてもらえるまで何度だって伝えるのだ。

呆然と立ちすくむスティーブンの腰に手を回してその胸に顔をうずめる。
「教えてくれたのは、スティーブンさんですよ」
色恋とは縁遠かったレオナルドに愛を教えてくれた当人であるスティーブンが愛を信じられないということがレオナルドには悲しかった。二人の時間を過ごすとき、レオナルドの眼はスティーブンの甘やかな表情を見逃さなかった。レオナルドはスティーブンに愛されていると知っている。スティーブンが愛を持っていることを知っている。だからこそ、少しでもスティーブンが愛を分からないというならば伝えたかった。あなたはもう知っているのだと。
「別に今は信じられなくてもいいです。それでも僕は、あなたを愛している。だから一緒にいてください」
今、自分にできる精いっぱいの想いを込めて言葉を紡ぐ。すぐには伝わらなくてもいい、一緒にいられるならこれから伝えていける。けれど離れてしまえばそれもかなわなくなってしまう。それだけはいやだった。
「いてくれるだけでいいんです」
スティーブンからの返事はなく、あたりを静寂が包む。
「それだけでいいのか」
頭上から降ってきた言葉は弱く、やもすると聞き逃してしまいそうなほどだった。
「それだけで十分です」
「そうか……」
少し震える声に気づかないふりをして、腕に力をこめる。
スティーブンは一人納得したのか、憑き物が落ちたように晴れやかな声で頷くと、レオナルドの背に手を回して抱きしめ返してくれる。身体ををレオナルドに預けるように肩に顔を埋めると、甘えるようにすり寄ってくる。レオナルドは肩にかかる重みを甘んじて受け入れると、首筋をくすぐる髪を手で梳いてやる。
されるがままのスティーブンはもっとと強請るように時折ぎゅうと腕の拘束を強めてきた。
「少年」
「はい」
「俺には、やっぱり愛なんてものは分からない」
顔を上げずに語りかけてくるスティーブンは面と向かって話を聞いてほしいわけでもないようで、レオナルドは変わらず癖のある黒髪を手で撫で続ける。ぽつりぽつりと零れる言葉はひとつずつ自分の中で整理しているのだろう。時間をかけて紡がれる。
「今でも君の言葉を信じられない」
「…はい」
悲しいけれど、仕方のないことだと自分に言い聞かせる。それに本心を語ってくれることは嬉しかった。今は分からなくてもいい、これから気付いていけば良いと思う。できれば自分と一緒に。いくら愛されていると知ってはいても、こればかりはスティーブンの意思に逆らえない。
「……それでも君と一緒にいたい。それが愛かは分からないけれど、その思いは本当だ」
勝手な話だけれど、そう続けた男はそれきり口をつぐんでしまった。レオナルドの背に回る手が強張っているのが伝わってくる。
レオナルドは言葉を返せなかった。何か返そうと口を開いても、言葉が出てこない。
一緒にいたいと思ってくれていることが嬉しい、思いを信じてもらえないのが悲しい、自分も一緒にいたい、心の内を話してくれてありがとう、これからも一緒にいよう。どれも正しいのにどれも違う気がした。本当に伝えるべきことは、それではない。そう思った。
「スティーブンさん」
身体を引きはがすようにぐいと肩を押すとスティーブンはのろのろと顔を持ち上げる。不安げに揺れる瞳は拒絶を恐れているのだろう。返事を返せなかったのは悪いとおもうが、それだけでこんなにも不安にさせてしまうのだと、彼から思いを向けられることに少しばかり優越感もあった。けれどいつまでもこのままでいるわけにもいかない。いつかこんな風に不安を感じられなくなるくらい、これから愛を注いでやろう。レオナルドは心の内で決意する。
顔を突き合わせても何を伝えればいいのか分からなくて言葉に詰まる。何を言われるのかと視線を揺らめかすスティーブンを見つめていると、胸の奥からは愛おしさばかりがこみあげる。ああ、そうか。結局のところ伝えたいのはこれだけだ。レオナルドは溢れんばかりに身を埋めつくす思いをありったけ言葉にのせる。信じてもらえなくてもいい、分かってもらえなくてもいい。それでもいつか届く日がくるはずだ。だから何度だって伝えよう。
くしゃりと歪められたスティーブンの顔は、今は喜びに満ちていた。


リアタイで見てからずっと使いたかったシーンで習作
監督の頭突き描写は愛に溢れててとてもいい

しかしクズの次はメンタル弱男ってキャラぶれひどすぎだな
2015/10/15