青年、かく語りき

 暗闇の中、姿勢を正した青年が1人。城を守るための警備を務める兵士だとは分かるが暗がりのせいで顔までは分からない。もし紛れ込んだ敵兵だったら、そう思い距離を置いたまま彼に声をかける。
「誰だ」
「そっちこそ誰だ。止まれ、名乗れ」
「国王陛下万歳」
「バナードウか」
「そうだ」
 声をかけたときはピリと冷たい空気が流れるが、聞き馴染んだ声に敵ではないと分かると胸を撫で下ろし足を進める。
「まったく時間通りだな」
「いま十二時を打ったばかりだ。交代だよ、フランシスコウ」
「休めるのはありがたい。ひどい寒さだ、気が滅入ってしまう」
 夜間の見回り当番を交代するためにやってきたバナードウは、肩をすくめたフランシスコウに全くだと同じく肩をすくめてみせる。早くこの同僚を休ませてやりがいが、その前にひとつ確認しておかなければならない。
「見張りは、どうだった」
「ねずみ一匹通らなかった」
「では、おやすみ。 ホレイシオとマーセラスに会ったら、見張りの相棒だ、急げと言ってくれ」
 何も問題なく引き継ぎが終わると、フランシスコウと呼ばれた青年はひらりと手をあげ、その場から立ち去ろうとする。それを片腕で制すと、青年はいったい何だとバナードウへと顔を向けてくる。暗闇を見つめているのに気が付いたのか、視界の端で同じ方へと顔を動かしたのが分かる。自分が見つめる先にはホレイシオとマーセラスが連れ立ってやってきている、はずだった。
「あれ?」
 ふいに口から零された言葉に呆れたと視線をよこす。だって。青年が口を開こうとしたところでスッと彼に忍び寄る影が見えてご愁傷様と思うが先か。
パコーン!
 綺麗な音が辺りに広がり一瞬の静寂が場を包むと、その静寂を裂くように青年の叫びが鼓膜を揺らした。
「ってえええええええええ!!!!」
「綺麗に決まったなあ…」
 あまりにも見事なやりとりに呆気にとられていると、パッと辺りが明るくなってざわめきが広がる。見渡すと芝居が中断されたと理解した部員たちは皆思い思いに動き始めていた。
 そう、これはお芝居。先ほどまでのやりとりは次の舞台の練習だ。その証拠に辺りを見回しても城などその片鱗も見えなければ、床だってフローリング。上を見上げれば照明のライトが煌々とステージを照らしている。兵士は鎧など纏っておらずに、ジャージとTシャツという動きやすさだけを求めた服装をしているし、ここに居る人はだいたいみんな同じような格好だ。
 大学のひとつの部として認可されているこの劇団では次の舞台にかの有名な古典演劇を上演することが決まっている。ありがたいことに大学の所有する講堂の空き時間を練習に使わせてもらえることになっているため、今日もこうして照明音響の確認がてらステージを使って練習していたのだが。
「カーット!カットだ、全くもう!何だいその演技は。ふっつー!普通がすぎるぞレオナルド」
 丸められた台本を片手に仁王立ちをする長身の男は、頭を抱えてしゃがみこんだフランシスコウ、もといレオナルドに捲し立てる様にダメ出しをする。突然現れたこの男は口元以外、それこそ目や鼻も覆い隠す仮面を付けており、後頭部まで続くその凹凸も少ない無機質な仮面が彼の表情を読みにくくさせていた。
「悪かったですね普通で!」
 呻き声を上げていたレオナルドは開いているのか分からない糸目でキッと遙か高くに位置する仮面を睨み付けて噛みつかんばかりに食いかかる。相対する男は表情こそ読めないが、先ほどの呆れかえったような声色や山のようにとがらせた口元から容易に感情が読み取れた。
「ええい、君が普通なのは今に始まったことじゃないからこの際どうでもいい!でもこれは舞台の始まりのシーンなんだぞ、これじゃあまりにも普通すぎて面白くないじゃないか!」
「んなこと言われたってド素人なんだから普通にやるだけで精いっぱいっすよ、だいたい、そんなに大事なシーンならなんで俺をフランシスコウにあてちゃったんですかー!!!!」
「君が"セリフの少ない役で"って言ったんだろ」
「確かに少ないですけど!どう考えても荷が重いでしょ?!」
 熱を増していく口論に口を挟む隙も無く、今のうちに休んでおくかと裏に置いた水を取るためにステージを後にする。



「お疲れ」
「おー、お疲れ様。お前らが出てこなかったのってフェムトさんの仕業?まじで焦ったわ」
 舞台袖に引っ込むと愉しそうににやにやと顔を緩ませた青年が片手を上げて労ってくれる。同期でもある彼は今回の舞台では同じく兵士であるマーセラスの役についており、つい先ほどのシーンで登場するはずだった。レオナルドには舞台に立っているのに素が出るなんてと呆れてしまったが、内心では自分もどうしたらいいのか分からず混乱していたのだ。
「悪い悪い。お察しの通りフェムトさんだよ」
 悪いと思ってなさそうな顔で謝ってみせる彼をじとりと見つめると、しょうがねえじゃんと慌てた様子で機嫌を窺われる。
「まーフェムトさんじゃな、俺らは逆らえねえわ」
 そう、この劇団の演出家でもあるフェムトさんは謎多き男で、この劇団に長く所属していることしか知られておらず一応大学には所属しているらしいが院生なのか学部生なのか、はたまた職員なのかさえ分からない。それに加えてトンデモ行動が多くて、逆らえば実験の被験者にされるだとか、機嫌を損ねるだけで大学どころか街一つが消えるだなんて噂もあるぐらいの人だ。こんな現実味のない噂を信じているのかと言われそうだが、うちの大学の学生ならば入学式の日にフェムトさんのウェルカムパーティ――どうやら恒例行事らしい、はちゃめちゃ騒動を見ているからむしろ信じていない奴の方が珍しい。言ってしまえば危険物。取り扱い注意。触れるな危険。名前を出したらいけない人。いや、最後のは違うか。
 まあ幸いなことに舞台演出の腕や役者へのアドバイスは間違いないもんだから、芝居をしたい人間はこうして劇団に入ってフェムトさんの演出による舞台を創り上げている。いわばこの劇団はフェムトさんによる劇団なのである。それもあって自分たちみたいなペーペーの下級生からしてみれば先輩よりも遙か高く敬う存在であり、逆らうだなんて言語道断、なのだが、どうやら例外もいるらしかった。
 その例外というのが、さっきフェムトさんに噛みついていたレオナルド・ウォッチだ。彼はマーセラス役の男と同じく自分と同期の新入生なのだが、別段芝居が好きなわけでもなく、ただフェムトさんに引っ張ってこられたらしかった。芝居のことなんてさっぱりだという彼が舞台の全体像を知れるようにと雑用係に任命されて早数か月。カツカツの人数で回している我が劇団では裏方と役者が兼任なんてのは当たり前で、レオナルドも例にもれずに端役とはいえ役者をやることになったのだ。それが兵士フランシスコウ。レオナルドの希望通りセリフは確かに少ないのだが、舞台の一番初めを務める重要な役にこんなドのつく素人を入れていいのかと心配もされているが、まあフェムトさんが言うなら大丈夫なのだろうと割とすんなり受け入れられている。現に今もフェムトさんとの言い合いの合間に客席や音響ブースからはステージに向けてフォローが飛び交っている。
 こんな風に今でこそレオナルドは劇団の仲間として認められているが、入部当初はフェムトさんが連れてくるぐらいだからこれまたぶっ飛んだ人物なのではと腫れ物扱いをされていたが、レオナルドは自身も認めるように至って平凡な人間で少しばかり懐が広すぎるきらいはあれども悪いヤツでは全くないため、今では彼も自分たちと同じように普通に新入生として受け入れられている。ただ、フェムトさん以外からは、の注釈付きだが。
「レオナルドには悪いけど、あいつがいるとフェムトさんの機嫌が三割増しで助かるわ」
「わかる。それにフェムトさんもあいつが言えば無茶はしねーから本当助かる」
「それな」
 隅に逃がされている水筒とタオルを手に取ると、空いたスペースにどさりと座り込む。あの調子だとまだしばらく稽古は再開しないだろう。
「それにしたって、レオナルドもよく付き合ってるよ」
 2人のやり取りを眺める彼の顔はゲンナリしており、どうやら過去のトンデモ事件を思い出しているようだ。ある日突然退屈だと叫んだかと思えば「日本からはるばる関取を呼んだから君たち相撲を取りたまえ」の一言で、見たこともない相撲とやらをとらされた。またある時は新種の生物を見つけたと、いかにも人を食いそうな得体の知れない生物を連れてきたらしい。その時相手をさせられた先輩はそのまま行方をくらましたという話だが、真偽のほどは定かでない。ともかく無茶振りの多いフェムトさんに付き合いきれず、先輩達も必要以上に関わろうとはせず、まともに付き合っているのはうちの部ではレオナルドだけだった。
「なんだっけ、入学式のフェムトさんのウェルカムパーティーに巻き込まれたんだっけ?」
「確かな。入学式からあれに巻き込まれて、その元凶に同じ部に入らされて。散々な学生生活だな」
 もしそこにいたのが自分だったならと想像して顔が引き攣る。自分なら耐えられそうもない。
「でもそれにしたって巻き込まれただけでああも仲良くなんないだろ。むしろ加害者と被害者で険悪になってもおかしくないのに」
「そこがレオナルドのすごいとこだよ」
 入部した時からレオナルドにはフェムトさんに嫌悪感は無かったように思う。知り合ってから日が経ってウェルカムパーティーに巻き込まれたと聞いてから一度本人にも話を聞いたが、大きな被害もなかったみたいだし別にいいんじゃないですかねとあっけらかんと返されてしまった。レオナルドはああ見えてなかなか豪胆な男なのだ。劇団に連れてこられたこともどう思っているのか聞いてみれば、最初は戸惑ったけどここの皆と出会えたから今では良かったと思ってる、なんて嬉しいことをいうもんだから、その時は衝動のまま頭を撫で回してしまった。
 そんな懐の広いレオナルドのことだから、未だに目の前でフェムトさんに食ってかかってはいるが何だかんだ最後には折れるだろうことも部員全員が分かっている。まあ今回は部員の誰もが危険な目にあっていないから、だけれど。
 ぐっと水を煽り、一息ついたところですることもなくて舞台の上の2人を眺めていると飽きずにくだらないやりとりを繰り広げていた。
 丸めた台本でぽこぽこ額を叩いていたかと思えば、その凶器を取り上げようと伸ばされた手から避難させるようにひょいと頭上に持ち上げて煽るように振って見せる。あと少しのところで届かないレオナルドはその場で飛び跳ねながら台本に手を伸ばすが、元々の身長差もあって高く持ち上げられたそれに手が届くことはない。おもしろがって口元を緩めながら揺らめかされる台本とレオナルドはまるでねこじゃらしと遊ばれる猫のように見える。
 遂に不毛なやりとりに嫌気がさしたのかレオナルドがそっぽを向くと、フェムトさんは後ろから被さるようにレオナルドにもたれ掛かる。羽織のように背中にまとわりついた自分より大きな人間の重さに耐えるのに精一杯で足を進めることもできないらしく踏ん張る彼の姿は見ていていっそ哀れだ。ただし助けるだなんて選択肢は端から存在しないため、内心でエールを送っておく。
「ありゃ部の先輩と後輩にしてはいきすぎてるよな」
 しかも片方はフェムトさん。ため息混じりに呟く隣の男の顔を見れば、自分の中の先輩・後輩像と噛み合わない2人の関係をどう表したものかと首を捻っていた。
「あれ、もしかしてお前知らない?」
「何を?」
 皆目検討もつかないといった様子にそうか、と思う。あまりにも隠そうとしないものだから皆気がついているのかと思えばそうでもないらしい。
 あの2人は付き合っている。
 とはいえ自分も直接聞いた訳では無いから、付き合ってるはずだ、が正しいのだけれど。
 


 あれは今回のオーディションが終わった直後だから初夏の頃だろうか。まだ劇団としても忙しい時期ではないためオフも多くて、その日もいつもは活動日のはずの日が休みになっていた。しかしいつもは活動日というのが厄介で、急に増えた休みに遊んでくれる相手は見つからず、当てになりそうな部員達もせっかくの休みなのになんでわざわざお前ととすげなく断られてしまった。そこで仕方なく、細々とした用事をまとめて済ませてしまおうと少し足を伸ばして繁華街へ出向いたのだが。
「あれってフェムトさん、だよなあ」
 一通り用事を済ませて、この後どうしようかなんてベンチに腰掛けて休んでいると目に飛び込んできたのは人混みに紛れた金色。ちらちらと灰色の仮面が覗いているため、人違いということはないだろう。
 学外でみたの初めてかも。外でもあれ着けてるんだ。
 もう見慣れてしまったけれど、道行く人がすれ違いざまにじろじろと視線を向けているのを見て、やっぱり初めて見るとビックリするよなと見知らぬ通行人に心の中で大きく同意した。
 それにしても、フェムトさんはこんなところに何しに来たんだ。謎の多い彼のオフでの一面が気になって目で金色を追いかけていると、人の波が収まったところで彼の隣に着いて回るブルネットの存在に気が付いた。歩幅の違いか、ちょこちょこと細かに上下するブルネットはひどいくせ毛で、どうにも既視感が拭えない。目を凝らして追いかけるがそう身長の高くない彼、もしくは彼女は通行量が増えると人混みに埋もれてしまった。残った金色を目で追いながら惜しいことをしたと思わないでもないが、野次馬がすぎるだろうと深追いをするのは控える。そのうちベンチに座ったまま見える範囲から彼らの姿は見えなくなってしまった。
 いやでもまさか、こんなとこでフェムトさんを見かけるだなんて。珍しいものを注視するあまり前のめりに浮いていた背をベンチの背もたれにあずけて思い出すのは部内での彼の姿。退屈を嫌い常に刺激を求める破天荒さや芝居がかった大仰な喋り方が頭に浮かぶが、さっきの彼はもっと穏やかに見えた。例えるなら親が子供をみつめるような、いや、そんな達観したものではなくて、男が好きな女性を見つめる時のような――。
 ともかくあんな顔をさせる相手とは一体どんなやつなんだ。考え始めると気になって仕方がなくて、しかし答えはでそうにないため今度の活動日に先輩にでも聞いてみようと心に決める。
 この後はどうするか。観たい映画もなければゲーセンという気分でもない。というかなんだかもうこれ以上この街に留まろうという気もしない。通りがかりに見かけたワゴンでコーヒーでも買って今日はもう帰るかと腰をあげる。
 広場をベンチが置かれていたのと反対方向に向かうと、あたりはワゴンの客でに賑わっている。混んでなきゃいいんだけど。ドーナツといくつかの飲み物を取り扱っている小さな車に目をやると、つい先ほど見かけた金色が目に飛び込んできた。どうやらフェムトさんもこのワゴンで何かを買おうとしているようで手を顎に添えてメニューを眺めている。
 近づくのは途惑われて、しばらくその場で待つことにするが、することも無くてそのままぼんやりと立ち尽くす。奥にいるためにすぐには気が付かなかったが、隣には先ほどの癖毛の連れの姿が見える。だぼついたトレーナーとズボンを着た連れはワゴンに貼られたメニューを指さしながらフェムトと喋っているようだが、長身に覆い隠されてその顔は見えない。ちらちらと見え隠れする癖毛に先ほど感じた既視感をぬぐいきれずむくむくと好奇心が沸き上がる。目の前にフェムトにあんな顔をさせる連れがいると思うと耐え切れなくて、野次馬上等だと相手の顔が見える様に立ち位置をずらして、不自然にならないよう視線を送る。
 謎多き男フェムトの新たな真実が!なんて思ったのも束の間、相手の姿を捉えると落胆に襲われる。そこにいたのはいたって平凡そうな男――強いて言うならば見えているのかも分からないくらいの糸目が特徴と言えるだろうか、そのくらいに取り立てて目立つ特徴を持たない人物で。なんなら自分のよく知っている人物だった。
「なんだよレオナルドかよ…」
 オフの日に部員同士で遊びに来てるだけじゃないか。なんだよフェムトさんも紛らわしい。部外でのフェムトを知れるのではと期待に胸を膨らませていたのが一気に萎んでしまった。でもそうか、学外でも会ってるんだあの二人。仲がいいとは思っていたけれど、元々フェムトが部に連れてきたのだからまあそんなものかと納得していたが、こんな風に一緒に遊んだりするんだなと意外に思う。一緒にいても特に何をするわけでもなくフェムトにちょっかいをかけられているばかりでレオナルドからフェムトに近寄ることはそうないし、今日もフェムトさんのいつもの無茶振りかと勘ぐってしまうが、部活中に退屈嫌いの彼の無茶振りに辟易してうんざりとした顔と違い、今は見ている限りレオナルドも無理矢理付き合わされているといった風でもない。
 二人はメニューを前に悩んでいたようだったが、少しすると注文も決まったのか店主に話しかけだす。フェムトがさっさと支払いを済ますと財布を取り出していたレオナルドが途端に慌て始める。きっとフェムトさんがまとめて払ったんだろう。品物がでてくるまでレオナルドは硬貨を渡そうと粘っているが、受け取ってもらえずに顔を歪ませている。その様子はいつも部活中に見ているのと変わらない。
 少ししてワゴンから差し出されたドーナツが頑なに何も受け取ろうとしなかった手を経てレオナルドへ渡る時には、渋々といった様子で財布をポケットにしまっていた。空いたはずのフェムトの両手には紙コップが握られており、そのスマートさに舌を巻く。普段はそんなにも後輩のことを気にかけている様子はなかったが、本当はこんなにも優しい先輩なのだろうかと印象が変わりかかったところで、きっと相手がレオナルドだからだろうと思いなおす。
 ワゴンのすぐそばのベンチに二人並んで腰かけると、レオナルドは自分の分の飲み物を受け取り手にしていたドーナツを美味しそうに頬張りはじめる。クリームのたっぷり挟まれたそれを大口でがっつくものだから、はみ出したクリームで口の周りがベタベタになっている。相当に美味しかったのか緩みきった口元と相まってなんとも情けない顔になっている。横で飲み物に口をつけていたフェムトは口の周りをぬぐおうとするレオナルドの手をとると、唇の端をべろりと舐めあげる。レオナルドは珍しくカッと目を見開いて硬直しているが、俺も人のことを言えないくらい驚きで身体が強張っている。
 一部分だけが綺麗に舐めとられた情けない姿を晒したままのレオナルドは奇行としか思えない行動に呆気にとられているが、元凶を生み出した男はそんなことはお構いなしに口の端をぐっと下げて何事か呟くと手にしていた飲み物を流し込んで懐からハンカチを取り出しぐいぐいと拭い始める。されるがままだったレオナルドも顔が綺麗になる頃には我に帰ったようで、フェムトが満足げにハンカチを仕舞うのをみながらわなわなと震えている。
「何、してんですかー!」
 両手が塞がっているから掴みかかりこそしないものの、少し距離がある自分にも聞こえるくらいの声量でフェムトに詰め寄り始めた。けれどもは言われている方はいたって冷静なもので先ほどからレオナルドの声ばかりが耳に入ってくる。「公衆の面前で」「そもそも舐めとる必要ないでしょう」言っていることはもっともなのだが、大声で話すことではないぞと内心心配になる。そろそろ周りにも気を回した方がいい、レオナルドの声になんだなんだと野次馬が集まってきているのだから。手の中のものをベンチに置いて徐々に熱を増すレオナルドは突然叫ぶのをやめてぐるりと辺りを見回すと、耳まで真っ赤になった。フェムトさんにでも言われて気が付いたのだろうとは思うのだが、野次馬に冷やかされてうろたえていたかと思うと、何を考えているのか分からない相手の手を引きその場から駆けだす。あ、と思う間もなく広場を後にした二人は街を行く人の波にのまれていった。
 中心人物がいなくなってしまえば集まった野次馬達も散り散りになっていき、辺りは元の賑わいを取りもどす。未だ衝撃から立ち直れずその場から動けない自分だけが取り残されていた。
 つい先ほどの出来事が頭の中に焼き付いて離れない。知り合いのそういうシーンだからか。いや、別に友人がパートナーといちゃついていたってそんなの気にも留めない。フェムトがそんな行動にでるのが以外すぎて。いやあの人が突拍子もないことをし始めるのはいつものことだ。男同士だったからか。それも何か違う気がする。レオナルドが嫌悪感をしめさずにいたからか。それもあるかもしれない。ぐるぐると思考は巡るが何一つ答えは出ず、そのまま立ち尽くす。
 その後時間を置いてようやく自分の中で折り合いがつくと、当初の予定通りワゴンで飲み物を買って帰ろうと足を進める。いつもはドリップコーヒーしか飲まないのに、この時エスプレッソを頼んだのは仕方のないことだと思う。



 まあそんなわけで、休日に出かける彼らの姿は先輩後輩というよりはむしろ男女のそれで。あの日から俺の中ではあの二人は付き合ってるんじゃないかと思うようになっていた。そう思いながら二人のやりとりを見てみると部活中でも二人の距離感の近さに納得のいくところは多くて、あながち間違っていないのだろうという結論に至った。むしろなぜもっと早くその可能性に行き着かなかったのかと自分を疑ったくらいだ。
 後日飲み会の席でうっかりお世話になっている先輩に漏らすと、彼女も二人の関係に何かしら感じるところがあったらしく、休日みたやりとりを根掘り葉掘り聞かれることとなった。それにしてもレオナルドが入部してきたときから疑っていたとはおそるべし、女の勘。
 それほどまでにあからさまな彼らではあるが、レオナルドは部活中は距離を取りたがっているようだ。しかしそれすらもフェムトさんは面白がっているようで、隙あらば構いにいっている。もっとたちが悪いのはレオナルドが他の部員と仲良くしているところを見かけるとわざわざ声を掛けにいくところか。その狭量な心に呆れよりも同情心が勝つのはレオナルドの人好きのする性格のせいだろう。フェムトさんという危険人物とセットとして扱われたとしてもなお避けられることなく周りに溶け込んでいるのはある種の才能といってもいい。もちろんそのスキルは部でも遺憾なく発揮されており、雑用係というどの部署とも関わるポジションで上手く立ち回っている。お蔭で今まで自分たちで回していた仕事まで雑用係を呼びつける始末だ。
 フェムトさんには悪いと思うが、どうせ公表しているわけでもなければ、レオナルドがフェムトさんのものだと確定しているわけでもない。部員もちらほら気が付き始めてるとはいえ、まだまだこいつのように気が付いていないやつもいるのだから、部員同士のコミュニケーションは許してほしいものだ。 
「まあお前にもそのうち分かるさ」
「はあ?」
 理解できないとくっきり書いてある顔を見て、これは素直に教えるのは面白くないなと楽しくなってくる。少しでも気付くきっかけがあれば自分と同じように、これまでどうして気が付かなかったのかと過去の自分を罵るだろう。けれどそれはもう少し後でもいい。
「それに」
「おいそこでくっちゃべってる兵士たち!いつまで休んでいるつもりだい?!」
「「すみませんでしたー!」」
 舞台上からの叱責を受けて、手にしていた水筒を脇に置いて立ち上がると急いで舞台袖にスタンバイする。いつの間にか二人の口論は終わっていたようで、レオナルドはぶつぶつとセリフを呟きながら動きを確認していた。
「それじゃあもう一度最初から」
 声を響かせて舞台から立ち去ったフェムトさんを見送ると照明が落とされる。今からここはデンマーク王の住まう城の一角。大きく深呼吸をして気を引き締めているところで肩をたたかれ現実に引き戻される。
「おい、さっきのそれにってなんだよ」
 よっぽど気になったのか、出番もすぐだというのにこそこそと話しかけてくる男に仕方ない奴だと耳打ちする。これくらいは許してもらえるだろう。
「さっきフェムトさんこっち見てたんだよ。藪をつつきたくはないだろ?」
「は?」
「俺に言えるのはここまでかな」
 更に分からなくなったと顔をしかめる友人には悪いと思うが、声を掛ける前のこちらをじっと見つめる視線は、仮面によって目が隠されているにも関わらずイヤに圧力を感じた。レオナルドをとられまいと牽制はしても、二人の仲を話のダシにされるのは望むところではないのだろう。練習の再開で体よく話を終わらせられたからいいが、このまま盛り上がっていれば俺もどうなっていたことか。想像してぶるりと身が震える。
 確かに二人の行く末は気になるところだが、自分の身は惜しい。いつか当人たちが話す日まではそっとしておいたらいいんだ。
「ま、そういうことで」
 これ以上は話す気がないと伝わったのか、もう話している時間はないとあきらめたのか。どちらかは分からないが大人しく引き下がった男に手を振って舞台上を見据えた。
「シーン1はじめまーす!」
 その掛け声とともに始まるカウントダウンが終われば自分はデンマーク城の兵士バナードウ。気になる彼らの物語について語るのはこの舞台が終わってからまたいつか。

冒頭の掛け合いは八lムlレlッl卜より。

あなたは30分以内に3RTされたら、ふたりが演劇部の仲間な設定で付き合ってる二人を第三者視点から見た壱李のフェムレオの、漫画または小説を書きます。
https://shindanmaker.com/293935
でRTいただいたやつ。書いてる分には楽しかったんですけどどうしてこうなった感は否めない。
フェムレオリベンジ失敗!!
2016/02/11